文庫 邑井 操 PHP研究所

 古本屋で買って、まだ1章も読み終わってない(どの本も大体1週間かかるから仕方ないか)けど、久々に眠くならずに読めた。文章が多少古臭いけど、いいこと書いてある!早く読み終わったら主人にも読ませよう。

 昨日は一日出かけてたから、帰宅した時には疲れきっててみんなの日記読むのにも船をこいでしまった。(あ、普段は決してそんなことありません!)

 昨日も朝から教会へ行き、3時ごろまで教会にいて、みんなで食事したり、青年会っていうので話し合いがあったり・・・。

 そうそう、昨日の礼拝のメッセージ、書こうかな!長くなりそうだけど、毎週の礼拝のメッセージはいつもうなずきながら聞いてるから!

 ルカによる福音書9章46節〜50節、題は「キリストの心で」

さて、弟子たちの間に、自分たちの中で誰が一番偉いかという議論が持ち上がった。
しかしイエスは、彼らの心の考えを知っておられて、一人の子どもの手を取り、自分のそばに立たせ、
彼らに言われた。「誰でも、このような子どもを私の名のゆえに受け入れる者は、私を受け入れる者です。あなたがたすべての中で、また、私を受け入れる者は私を遣わされた方を受け入れる者です。あなたがたすべての中で一番小さいものが、一番偉いのです。」
ヨハネが答えて言った。先生。私たちは、先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、やめさせました。私たちの仲間ではないので、やめさせたのです。」
しかしイエスは彼に言われた。「やめさせることはありません。あなた方に反対しない者はあなた方の味方です。

 弟子たちはわずか12人で優劣を競う。牧師の間でもたまに、「あなたの教会は何人ですか?」と礼拝の人数を聞いて、レッテルを貼られる。大きいから凄い、小さいからたいしたことない・・・。私はそう聞かれたら、「私はもう、数えるのをやめました。大きいか小さいかで決めるのは良くないと思うんですよ。多いか少ないかよりも、どういう人がいるかで判断するようになりました。
 

 当時のイスラエルでは、成人男性しか数えてもらえない。小さな子どもは価値がない、役に立たない。しかしイエス様は、愛の物差しではかる。お母さんが子どもたち一人ひとりを愛するのと同じ。でも世間は力の物差しで計ることが多いのではないか。

 さて、49節。つまり、純粋性を保とうとしている。典型的な例はイスラエルの人たち。彼らは「選ばれた者」として、異邦人を排除してきた。これは、私達も本当に気をつけなければならない。

 弟子たちとイエス様は、ギャップがあった。けれども、イエス様と生活していくうちに成長していった。イエス様と共に歩むなら、徐々に徐々に、成長していく。

 もっと色々なこと言っていたけど、書くのが大変なので、これくらいにしておく。

 私はこのメッセージを聞きながら、この日記のカウンタのことを思った。自分の日記は見る人少ないけど、数ではなく内容だ、と言われたような気がした。

  
 昨日は、主人のお友達と5人で銀座に集合して、ぶらぶらウィンドショッピングしたり、食べたり飲んだり、カラオケにも行った!5年ぶりに会った主人のお友達は、大学生時代とちっとも変わってなかった。

 私のいないところで「○○の奥さん、ワンピース似合うね。」と言ってたと聞いたので、ワンピースにして良かった(^^)

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