今日(15日)で結婚12周年でした!


 12年も一緒にいると色んなことがありますが、私のADHDを理由に離婚話したことは一度もありません。


 「ADHD 離婚」というアクセスがあったので書きますが、ADHDを理由に離婚なんて悲しすぎます。

 確かにADHDは片づけが苦手、書類に目を通さない、お金の管理も苦手等、結婚相手に申し訳ない部分でいっぱいだけど、そういった欠けた部分を気にかけてもらい、お互いの「欠け」を補い合うのが結婚だと思うんです。


 ※私はここで「思う」と表現していますが、実際神様は聖書を通してそういう結婚生活を送るように薦めています。

 前から書いていることですが、楽しい時、健康な時、富める時だけ一緒にいて、辛い時、病める時、貧しい時に一緒にいない(協力しあわない)のは、おかしいと思うのです。


 


 こんな駄目主婦の私と一緒にいてくれている主人には感謝ですが、私も主人の暴言には我慢してきました。



 完璧な人間なんていないからこそ、夫婦が添い遂げるには忍耐が必要なんです。



 今日は普通に楽しく12周年をささやかに祝いましたが、12年間の間に喧嘩も沢山してきました!


 でも一度「離婚はしない!」とお互いに決めてからは、どんなに喧嘩をしても離婚の言葉を口にしなくなりました。そして寝る時はいつも同じベッド(シングル)です!


 これが仲良しの秘訣です^^


 
 最近、色々な食べ物を食べ比べているはちみつです。

 森永と明治のミルクチョコレートを食べ比べてみました^^



 私にはどちらも同じくらい美味しいのですが、主人が

「明治はやっぱ、おいしいね!」というので、この勝負、明治の勝ちとなりました!



 そういえば、この二つのチョコレート、どちらもベルマークが付いてます!


 うれしいですね♪これからも両方同時に買いたいと思います!!



 でも今日はバレンタインなので、いつもは買わない、ちょっと高め(?)のを用意しました^^


 高すぎず、安すぎず、といったところでしょうか。



 愛されているのを実感していますからねぇ〜!!

 名前で呼んでくれるし、

 しょっちゅうご飯作ってくれるし、

 「今日もご飯美味しかったよ。」って言ってくれるし、

 二人きりで食事つれてってくれるからね☆



 主人を大事にしないとね!
 最近、周りで離婚が急増中です。

 理由も人それぞれだし、他人が口出しできないことだし、ある意味仕方ないけど姉が離婚するとなると、残念です。

 姉はずっとDVを耐えてきて、10日くらい前も打たれたそうです。それを聞くと、仕方ないかなと思うけど・・・。

 先日、姉の旦那と子どもが泊まったけど、私が忙しくて何もゆっくり話せなかった。手紙を書くとか言ったけど、今度の日曜日に最後の決断をするみたいで、まさかそこまで迫っているとは思わなかった。

 DVではもちろん姉がかわいそうだけど、姉の旦那に一度でも、DVを止めるとか、治すとか、そういった決断を迫ったことがあるのだろうか。

 二人とも離婚したいならすれば・・・で済む問題じゃない。

 大抵の人は自分のことは棚に上げて、相手の悪口ばかり言うけど、姉の旦那もあそこまでひどいとは思わなかった。ここでは何も詳しく書けないけど。

 
 完全な人間なんていないんだから、お互いに悪いところや至らないところを悔い改めたり、改善させて、添い遂げてほしい!

 姉が離婚しようとしているのを、伯父伯母には言わないように口止めされてたけど、伯母に報告しておいた。30分くらい話したけど驚いたのは、仲良さそうに見える伯父伯母でも、やっぱり離婚を考えた時期があったということ。

「おじいさんとおばあさんと、お父さんの3人で悪口言うから、辛い時期はあったよ。」

 ・・・どこの夫婦にも辛い時期はあるんだなぁ。



 姉の旦那は、きっと何度結婚してもDVが原因で離婚すると思う。離婚すれば姉は恐怖におびえることはなくなるだろうけど、姉の旦那がDVをやめない限り、根本的な解決にはならない。


 DVとか礼拝中に眠るとか、どんな問題にしても、苦しんでいるのは相手だけじゃなくて、本人も苦しんでいるはずだから、頑張って克服してほしいものです。

 姉夫婦もクリスチャンだから、ここは神様にゆだねよう。
 出来ちゃった結婚についての意見が書いてあったので、全部読んだ。私もあの日記書いた人と近い考えだった独身時代があった。でも、私も出来ちゃった結婚をした。

 クリスチャンというのは何かと「神のなさること」で片付けるから、読んでてむず痒さを感じさせるかもしれない。

 私と主人の場合を書いてみる。


 私たちは独身時代、たった一度、その一度で妊娠をした。それまでに何度もしていたのではなく、たった一度。


 たった一度だろうが、100回目だろうが、妊娠は神のなさること。私の親戚にはクリスチャンが多く、伯父伯母もクリスチャンなので、「おろしてほしい」という彼を牧師夫妻と伯父夫婦と私の5人で、父親になるよう説得した。
 話し合いは教会の一室で行なった。彼は自宅から2時間もかかる私の母教会へ来てくれた。もちろん、父親にはなりたくないという意見を携えて。
 でも彼もクリスチャンなので解ってくれた。教会へ行くときは険しい顔だった彼が、帰るときには手をつなぎ、一本の紙パックのジュースを二人で飲みながら帰った。

 当時、私は貯金を使い果たして一文無しになったフリーター、彼は大学生。マイナスからのスタートは、経済的に大変で、結婚できたことはとても嬉しかったけど、ずっと憧れていたウェディングドレスも着ず、指輪ではなく聖書交換をし、新婚旅行ではなく新婚デートだった。自分の思い描いてきたことは、何一つ出来なかった。

 10万円のローン(借金)まであった私は、主人に「騙された」とまで言わせてしまった。一番いわれ書くない言葉だったので、言わせないために私の過去や短所を全部教えてあったつもりなので、言われた時はショックで電車内だったけど泣いた。

 
 数年前に主人の父が亡くなったとき、葬儀でたくさんの人が口々に言ってた言葉は、「孫の顔が見れてたから良かったよ。」

 義父は50歳目前だった。

 その言葉を聞いて私は、「孫の顔見てからお父さんを召すのが神様のみ心だったんだ。」と思った。

 結婚して8年経っているが、去年は離婚を本気で話し合い、今にも離婚するじゃないかというくらい、とことん喧嘩した。
 
 
 とことん喧嘩して、色々あって解りあうことが出来た。離婚しないことにしたどころか、新婚気分に戻り、「たとえ子どもが親より先に亡くなったとしても、私達に離婚する理由はない!」という考えに行き着いた。

 
 私達夫婦は、神様によって結び合わされた。神様のご計画、みこころであって、決して自分達の考えだけで結婚したのではない。

 聖書に書いてある、「あなたは姦淫してはならない。」を守れていれば誰も苦労しないが、人間には罪があるので、出来ちゃった結婚や不倫、浮気などで悩む。


 聖書は婚外だけでなく、婚前交渉も「姦淫」としている。誰も「姦淫」しないのであれば、聖書に書いてある必要はないが、聖書の時代から姦淫はあったのであえて十戒に書いてあるのだ。

 間違っている人に、「あなたは間違っている。」と指摘したり、怒ったり非難を浴びせるのはとても簡単なこと。

 本当に一人の人の改善を願うなら、自分の正論を押し付けていたのでは、かえって嫌われる可能性がある。嫌われると自分の意見に聞く耳を持ってもらえなくなることもあるだろう。「相手は嫌いでも、相手の意見は正しいから聞き入れよう。」という人もまれにいるが、間違った人の意見や背景を聞こうともせずに自分の意見ばかり述べるのでは可哀そうだ。

 日記はまた後で書こう。
 私は主人と二人で見た。ウチの散らかり具合はあそこまでじゃないけど、子ども部屋の散らかり具合は同じくらいだなぁ、なんて今日片づけをしながら思った。

 そもそもみんなで子どものおもちゃを増やしているのに、片付けたり捨てたりは母親の仕事って事になっているのが納得いかない。私は子どもが二歳ぐらいから「ママおもちゃ嫌い!」が口癖になった。それでも子どもはよくねだる時期があるからたまんない!子どもがねだらない年頃になっても、ファミレスや武道で貰うことがある・・・

 武道の道祖や奥さんにも、「おもちゃなんか要りませんから、募金してください。」と言ったが、「みんながおもちゃを貰っているのに、一人だけ貰えないのはかわいそう」と返されてしまった。その時は確かにそうだったが、あれから2年経って、子どもも少しは大人になり、いらなかったら返却するようになってくれた。

 片づけしてると、ホントつくづく思うのは、日本は物があふれてるって事。トランプだけで5つはある!誰かか転校するとなれば必ず鉛筆とノートのセットとかもらえるし、(でも、みんながみんな同じような物くれるから、増えるとどれがだれのくれたものだか分らなくなる・・・)

 ウチはもうこの土地に永住ってことになったから、転校することはないけど、もしお別れに何かをプレゼントするとなったら、私なら新品未使用の記念切手と、名刺サイズのカードにするなぁ!カードに新住所と切手があればお手紙くれるかもしれないし、くれないにしても何かと用途はあるからゴミにはならないし・・・。

 ADHDって言うと、注意欠陥で、多動で、衝動的でいいとこ一つも無いように思われるが、昨日の番組の最後でも言ってたけど、アイデアが豊富という長所もある!困ることや悩むも多いけど、決して不幸ではないのを知っててほしいなっ!

 
 今日はエペソ人への手紙5章
「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、二人は一心同体となる。」31節

 これは聖書に4回も出てくる言葉。配偶者は変えられる、なんて考えもあるけど、聖書は親子の絆より、夫婦の絆のほうが強いと言っている。2週間前の礼拝の説教でも、「結婚式で、『健やかなる時も、病む時も、富めるときも、貧しき時も・・・』と言っているのに、楽しい時や幸いな時だけ一緒にいて、困難な時、辛い時は分れるのは夫婦じゃない」ようなこといってた。

 うちらもかなり困難な時期があったけど、添い遂げるんだろうなぁ!

 困難を夫婦で乗り越えるって、結婚の醍醐味だと思う。

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