単行本 堀 肇 いのちのことば社 ¥1,050

 教会の課題図書、何度もウトウトしながらも一生懸命読みました。

 元々LD(学習障害)だった私にとって、1冊の本を読み終わるのは、けっこう大変です。自分で選んだ本でも読み終わらないことが多いんだから、課題図書は尚更です。感想文も書くように言われてるから、ここに書いてプリントアウトして提出するつもりです。

 さて、本題に入ります。

>「何かをする」、あるいは「何かを語る」ということよりも、破れそうなこころの痛みや悲しみに共感することがどんなに大切かということの再確認でした。
 それも、ただ黙っていればいいというのではなく、相手が「してほしくないこと」と「してほしいこと」をよく見極めながら、共感すること、これこそが悲しみの中にある人への援助の基本的な原則なのだと今さらのごとく知らされました。
6ページ「そこにいてほしい」より

 私も昔、悲しみのどん底にあるとき、教会に行きたくないのに日曜日は教会へ行かなきゃいけないような気がして、知らない教会へいってみました。初めての教会だと、みんなに話しかけられます。でも誰に話しかけられても緘黙して、心の中で「違うよ。どうせ私の気持ちなんて誰も分っちゃくれないよ。何でみんなそうねほりはほり聞くの?」と思うだけで、殆ど何も言えないまま帰ったことがありました。その教会は自宅からは近かったけどそれきりでした。

 相手が何も語れないほどに悲しみに暮れてるときは、返事がないのならそっとしておけばいいのです。


 「もっと朝を信じても」の感想。
 
 そうは言っても、問題が解決しない限り、「朝」(翌日)は怖いのです。たとえば毎日学校でいじめられてたり、うつ病の時は。

 >私はこうした人間のこころの事情を考えていくうちに、人に単に「あなたが変われば、相手も変わりますよ」などと言えなくなってきました。そして何よりも聖書は「神がまず、私たちを愛してくださった。」(第一ヨハネ4章9節)と語っていること、つまり最初から変わるように勧めてはいないという事実に新鮮な感動を覚えたのです。
86ページ「愛されない限り」より

 最初はこのことばに共感を覚えたものの、あとになって「こころの一新によって自分を変えなさい。」という聖書のことばを思うと、やっぱり変わらなくちゃいけないんだ、と思いました。

 というのも、毎日のように主人には怒られているからです。主人が先に変わってくれました。今度は私が変わる番なのです。

 大変なので、感想はこの辺でやめときます。まだこの本を読み終わってないのですが、感想の半分くらいが書けたと思います。

 いつもいい加減な感想を書いてる私ですが、一生懸命書くと骨の折れる作業です。

   
 

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