じ、実は、日曜日に作って持参しようと思っていたら、粉糖が近所で売ってなくて、やる気なくして作らなかったのだ。

 自転車で2〜3分で行けるスーパーを、4店舗探し回ったけど全滅だった。ちょっと遠いけど自転車で10分こいで行けば、粉糖が売っていた。

 日曜日に作れなかったから、今日こそと思い、頑張って作ったら、美味しくできました〜!!

イースターの愛餐会に今度こそ作って持って行こう☆

 ところで、クリスチャンなのに、クリスマスに触れてないなぁと反省している。だからここで一つ、昨日のキャンドルサービスで聖書朗読した箇所を書きます。

 マタイの福音書1章18節〜23節

イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、二人がまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
彼がこのことを思い巡らせていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
この全ての出来事は、主が預言者を通して言われたことが成就するためであった。
「見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)

 世界史では、イエス・キリストがキリスト教の教祖、ということになっているけど、イエス様が新しい宗教を興したわけではないので、決して教祖ではない。

 イエス様の誕生は、生まれる前から預言されていて、いつ生まれてくるのかを待ち望まれていたのです。

 イエス様が聖霊によって生まれたのは、普通に生まれてきたのでは、普通の人間と同じであり、普通の人間=罪びと だからです。罪びとが十字架に掛かったところで、その人自身の罪の償いにしかなりませんからね。

 全人類の罪の身代わりになって、十字架の上で死んで、よみがえるのが、イエス様の生まれてきた目的の一つでした。

 もしも、この日記を読んでくれている人で、自分の罪の事で悩んでいるなら、イエス様があなたを含む、私たちの罪のために死んでよみがえったことを知ってください。

 いつか信じて救われる時が来るのを、お祈りしています。

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