エンタ見ながら、CMの隙にフジテレビみたけど、「マグダラのマリアとイエスが恋に落ちて、二人の子どもが・・・」どうのって、アホくさかった〜!!

 キリスト教では、婚前・婚外交渉が罪なのに、イエス様がマグダラのマリアと交渉するなんて事、ヨーロッパで放送したら、放火されちゃうよっつーの!

 エンタの方がよっぽど面白いので、もう二度とザッピングすることはなかった。


 この番組の製作者は、聖書をただの物語や伝説にしか思ってなくて、大事なことは何一つ知らないから、こんなデタラメ流せるんだろうなぁ。



 イースターが近いから、こういう番組作ったんだろうけど、あまりのアホくささに腹が立った。

 イエス様には何の罪もないのです。ここで言う「罪」とは、

不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。  ガラテヤ人への手紙5章19〜21節より。

 
 私たちの日常じゃ、当たり前のようにある敵意とか、ねたみ、憤りまで「罪」だと言っているのに、イエス様にはこの中のうちの一つも罪がないのです!


 もし、イエス様に罪があって十字架にかかったのなら、それはイエス様自身の罪の償いになるのであって、私たちの罪の「身代わり」(贖い・・・『あがない』と読む)にはならないのです。



 さて、番組批判はここまでにして、次は

 イエス様は教祖ではないって事を書こう。

 

 学校の世界史とかで、「キリスト教の教祖はキリスト」と習うみたいだけど、厳密には違うんだなぁ〜これが!


 イエス様は、旧約聖書の時代から「救い主(メシヤ)」として待ち望まれていたわけなんだけど、イエス様が馬小屋で生まれたからって、ユダヤ人が「救い主がそんな貧乏くさい場所で生まれるはずがない!」と認めなかっただけなんです。


 だからユダヤ人でも、イエス様を救い主として認めて信じれば、「キリスト教」、イエス様を救い主として認めていないで、他の救い主を待ち望んでいる限り「ユダヤ教」だと思うんです。
もちろん、何も信じていなければ無神論・無宗教だと思う。


 だいたい、「教祖」っていうのは、自分から「私こそ救い主」だの「私こそ神」って名乗るけど、イエス様の場合、生まれる前から

その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。

 と言われているのです。

 
 それとついでにもう一つ、キリスト教は金儲けのために信じているわけではありません。御利益宗教じゃないのです。

 だからお金がありすぎる必要はないし、かといってなさ過ぎても困ります。(人間、誰しもそうですが・・・。)そのことを上手く説明しているようなみことばがこれです。


不信実と偽りとを私から遠ざけてください。 
貧しさも富みも私に与えず、
ただ、私に定められた分の食物で
私を養ってください。
私が食べ飽きて、あなたを否み、
「主とは誰だ。」と言わないために。
また、私が貧しくて、盗みをし、
私の神の名を汚すことがないために。 
 箴言30章8,9節

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