書きたいことが色々ある
2005年4月11日 日常 新しい担任の先生は、宿題が多いらしい。2年の時は、国語か算数のどちらかだったのに、今度は1日に両方の宿題がある。
主人に、「宿題が多いようならいちぶんのいちやめようかねぇ。」というと、
「なんで?俺はTの3倍はやってたよ!」というではないか!
さすが、元塾講師だ。いっぱい勉強させるためには、自分も頑張らねば・・・。
ところで、3種類のお薬を飲んだ感想。
朝飲むべき薬は、ちゃんと7時には飲むべきだった。確か、10時過ぎに飲んだんだけど、少し鼓動が大きく感じるけど、気持ちは穏やかで、いつも思う「家事なんかやりたくねぇ〜!」というのがなかった。「どうせ、誰も褒めやしないんだよ。」という気持ちもなく出来た。だからと言って、家事がはかどった訳ではないけど・・・。
聖書も久々に家で読んだ。「みことばの光」という手引書でもって。昨日と今日の分を読んだ。ヨブ記、前に読んでここに感想書いたっけ?・・・と思いながら。
久々に家で聖書を読むと、心の中よどんだの空気を入れ換えたような感じがする。
ヨブ記1章で、ヨブの子供たち全員と家畜全部が死んでしまった。ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。1章22節
今度はヨブ自身の体中に悪性の腫物が出来た。すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」
しかし、彼は彼女に言った。「あなたはおろかな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。2章9,10節
ヨブの例は極端だけど、キリスト教は決してご利益宗教ではないので、今は平和にやっていても、いつ遭うか分らない天災や人災にそなえて、ヨブのような強い信仰に成長したいと思う。
なぜなら、たとえわざわいの中にあっても、自分は神様から離れては平安が得られないのを知っているから。
それにしても、自分はいつも不平不満ばかりで、本当にヨブのような信仰の持ち主になれるのだろうか・・・。
まずは薬に頼ってでも、家事をごく普通に、文句たれずに出来るようになりたい!
主人に、「宿題が多いようならいちぶんのいちやめようかねぇ。」というと、
「なんで?俺はTの3倍はやってたよ!」というではないか!
さすが、元塾講師だ。いっぱい勉強させるためには、自分も頑張らねば・・・。
ところで、3種類のお薬を飲んだ感想。
朝飲むべき薬は、ちゃんと7時には飲むべきだった。確か、10時過ぎに飲んだんだけど、少し鼓動が大きく感じるけど、気持ちは穏やかで、いつも思う「家事なんかやりたくねぇ〜!」というのがなかった。「どうせ、誰も褒めやしないんだよ。」という気持ちもなく出来た。だからと言って、家事がはかどった訳ではないけど・・・。
聖書も久々に家で読んだ。「みことばの光」という手引書でもって。昨日と今日の分を読んだ。ヨブ記、前に読んでここに感想書いたっけ?・・・と思いながら。
久々に家で聖書を読むと、心の中よどんだの空気を入れ換えたような感じがする。
ヨブ記1章で、ヨブの子供たち全員と家畜全部が死んでしまった。ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。1章22節
今度はヨブ自身の体中に悪性の腫物が出来た。すると彼の妻が彼に言った。「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」
しかし、彼は彼女に言った。「あなたはおろかな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。2章9,10節
ヨブの例は極端だけど、キリスト教は決してご利益宗教ではないので、今は平和にやっていても、いつ遭うか分らない天災や人災にそなえて、ヨブのような強い信仰に成長したいと思う。
なぜなら、たとえわざわいの中にあっても、自分は神様から離れては平安が得られないのを知っているから。
それにしても、自分はいつも不平不満ばかりで、本当にヨブのような信仰の持ち主になれるのだろうか・・・。
まずは薬に頼ってでも、家事をごく普通に、文句たれずに出来るようになりたい!
コメント