←これ、ゆり??

 さておき、今日は礼拝が始まった時に隣にいるはずの主人がいなかったので、どこにいるのか所在が不明で少々不安だったから、最初からは集中できなかった。

 また、女の人が銀貨を十枚持っていて、もしその一枚をなくしたら、あかりをつけ、家を掃いて、見つけるまで念入りに捜さないでしょうか。
 見つけたら、友だちや近所の女たちを呼び集めて、『なくした銀貨を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』というでしょう。
 あなたがたに言いますが、それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちに喜びがわき起こるのです。


         ルカによる福音書 15章8〜10節

 まだ結婚していない方も想像してもらいたいと思うんですが、もし結婚指輪をなくしてしまったら大変。必死になって探すと思うんです。

 あるサザエさんの一コマで、指輪を流しの穴に落してしまって、それをネズミにとってもらって、そのネズミを大事に鳥かごで飼うっていうのがありました。

 銀貨を首につないで持っていく・・・指輪みたいなものなのかもしれません。この二つのたとえは、7節、10節に意味がある。(10節は上を見てください。)

 7節
 あなたがたに言いますが、それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。


 罪人が悔い改めて神様に立ち返る。悔い改めっていうのは方向転換なんですよね。神様は私たちに求めておられる。ただの一人をも神様は無視なさらない。銀貨9枚でいい、(正しい人たちが)99人でいいとは言わない。

 
 悔い改めはたった一度ではない。私たちは罪を繰り返す。その度に悔い改める。自分が正しいと思っている人も、新しい光で自分の姿がしめされた時に、悔い改める。神様に似るように悔い改める。5節〜10節の中に「喜び」が5回出てくる。

 
ペテロの手紙第二 3章9節
 主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、一人でも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

 ↑これが神様のお心なのです。世の終わりが来ると教えられているのに、延び延びになっている。それは一人でも多くの人が悔い改めるためです。

 
 ローマ人への手紙10章1節
兄弟たち。私が心の望みとし、また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。

 ↑これは使徒パウロがユダヤ人、異邦人に求めたことです。

 ヨハネの手紙第三 4節
 私の子どもたちが真理に歩んでいるのを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。

 これはヨハネのことばですけど、イエス様を大切に歩んでいく、神様と主に歩んでいく・・・繰り返し繰り返し、いろんな場面で悔い改めなければならない。生活の場面で間違っているならば。

 先週、「追憶」という冊子が送られてきました。(中略)その中に、ある人の4番目のお子さんの思い出が書いてある。

「私の母を一言で表現するなら、良妻賢母です。・・・その母との思い出で一番よく覚えているのは、怒られた時のことです。・・・包丁を片手に「お前の手を切り落とすか?」と迫ったのです。・・・」

 このお母さんは、母として悔い改めを迫ったんですね。そして今、この人はクリスチャンとして歩んでいます。

 

 世の中には色々な喜びがある。その中でも悔い改めの喜びを大切に生きていきたいと思います。

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