今日はちょっと頑張って、まずはみんなで交読した箇所を書いてみます。・・・というのは、聖書って本は誰もが読もうと思えば読め(無料配布されてる、図書館や本屋にある)のに、読みもしないで毛嫌いしてる人が少なくないからです。そういう私も自分だけで読むのは苦手・・・。

 またこう話された。
「ある人に息子が二人あった。
弟が父に、『お父さん。私に財産の分け前を下さい。』と言った。それで父は身代を二人に分けてやった。
それから幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そしてそこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった。
何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。
それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。
彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった。
しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。『父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに私はここで、飢え死にしそうだ。
立って父のところに行って、こう言おう。「お父さん、私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。
もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください。』」
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家が遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした。
息子は言った。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私はあなたの子と呼ばれる資格はありません。』
ところが父親は、しもべたちに言った。『急いで一番良い着物を持ってきて、この子に着せなさい。それから手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いてきて引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。
この息子は死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから。』
そして彼らは祝宴を始めた。
ところで、兄息子は畑にいたが、帰って来て家に近づくと、音楽や踊りの音が聞こえてきた。それで、しもべのひとりを呼んでこれはいったい何事かと尋ねると、
しもべは言った。『弟さんがお帰りになったのです。無事な姿をお迎えしたというので、お父さんが、肥えた子牛をほふらせなさったのです。
すると、兄はおこって、家にはいろうともしなかった。それで、父が出て来て、いろいろなだめてみた。
しかし兄は父にこう言った。『ご覧なさい。長年の間、私はお父さんに仕え、戒めを破ったことは一度もありません。その私には、友だちと楽しめと言って子山羊一匹下さったことがありません。
それなのに、遊女におぼれてあなたの身代を食いつぶして帰って来たこのあなたの息子のためには、肥えた子牛をほふらせなさったのですか。
父は彼に言った。『おまえはいつも私といっしょにいる。私のものは、全部おまえのものだ。
だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。』」



 聖書箇所をそのまま書くだけで、こんなにいっぱいになってしまった(^^;


 これは、「放蕩息子」という題で有名なイエス様のたとえ話です。今日の説教は、父と兄息子、弟息子の3人の登場人物の、父の立場に立ってのものでした。夜に説教を書きたいと思ってます!

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