何年か前のことになりますが、サラリーマンやOLに対するアンケートがありました。上位には、お金の悩み、仕事のこと、ダントツ1位は人間関係でした。私たちが生活してる中で一番の悩みは人間関係。傷つけあうのを赦してもらえなかったり、赦せなかったり。

 「死のとげ」という映画を見た。聖書的なタイトルだなぁと思って。主役の旦那さんは、作家志望だけど浮気をしてしまう。毎日毎日の生活の中で、奥さんはとげのようにちくちくちくちく浮気のことを言う。何年も言うので、「うわーーっ!」と叫びだした。奥さんは精神を病んで病院に入る。奥さんが、「私、治るんでしょうか?」と聞いて、旦那さんが「きっと治るよ。」と言っておしまい。重苦しくて、とても考えさせられた。

 奥さんは、浮気を忘れて赦せない。人間は、赦せない、赦されないほど苦しいことはありません。赦し、赦されることが出来れば、私たちは幸せになれる。

 ペテロがイエス様にたずねた。7度まででしょうか、と。
仏の顔も三度まで。それを遥かに超えて7度までといったので、褒められてもいいと思った。7×70=490回。どこまでも赦しなさい。

 そーんな、どこまでも赦せだなんて、出来っこないですよ、と思う。

 ここではイエス様がなぜ、このお話をしたのか。イエス様は、「あなた方は赦すことのできる人間になれます。」と言っている。

 主人がしもべに1万タラント貸している。でも、しもべが返せないので免除してやった。この聖書の箇所を読んで驚いたでしょうか。1万タラントがどれだけか知らないと、判らない。1万タラント=6000デナリ。1デナリは一日分。6000デナリは20年分。1万タラントは、20年分の借金。1デナリ=1万円だとして、6000億円。それを全部免除してやった!

 これはたとえ話ですからね、しもべは私たちなんです。主人は神様。皆さん、神様は空気も水もぜーんぶただで下さった。私たちは神様に恵みに恵みを受けていながら、もっと多く求めている。でも神様は私たちの借金を全部赦してくださった。

 皆さん、私たちがなぜ人を赦すのが難しいか、解りますか?損をするからですよ。ところが私たちは損をしたくない。だから赦せない。「あの人が悪いんだから」という。

 この後続きがある。今ならケータイ電話で奥さんに報告する。「全部、ゆるしてもらちゃったよ〜!」と。その人は途中、友人にあって、「100デナリ返せ!」って胸ぐらつかんだんですよ。自分が6000億円赦されて、「いいよ、僕はも〜っと赦されたんだから^^」とは言わなかった。それで主人に、「おまえが赦さないんなら、私も赦さない。」と牢に入れられる。

 私は昔、内村鑑三のサイン入りの本を持っていた。ゆうちゃんがくれたんです。「えーっ!?これもらっていいんですか〜!!」それを神学生仲間に自慢した。表紙がボロボロだったんで修理に出したら、内村鑑三のサインがなかった!!

 頭にきて、もの凄く怒っていたのでクレームの電話もした!それで家に帰って、この聖書の言葉を思い出した。イエス様は「お前は何を怒っているのか。私はお前のために命を捨てたではないか。

 ・・・聖書に責められたら、何も言えない。だから、「もう、いいです。」という電話をかけた。「神様に赦せといわれて、赦します。これからもお付き合いください」と。その本を今でも持っている。サインはないけれども。本を見ると今でも思い出すんです。コンチキショーじゃなくて、赦したことを。

 神様の恵みというのは、本当に行き届いているんです。クリスチャンになって神様の恵みが終わるんじゃないんです。クリスチャン生活は、努力じゃないんです。ありのままに生きればいい。

 クリスチャンじゃない人は、「それじゃあ、自堕落な生活になるのでは?」とか、あるいは「信じなくてもみ〜んなパッと天国に連れてってくれればいいのに。という。でもそうではない。天国の居心地のいい人がいる。そうなれないまま行ったら、それは悲劇です。

 若い人に、こんな話をしてみる。ジーコ監督から、ワールドカップに入れてやるから・・・と言われても、サッカーがまだ出来ないから、恥をかく。ジーコ監督に選ばれたからって、勉強もせず、サッカーもほどほどに練習するのではない。ジーコに従って訓練される。

 私たちの教会に、80代のご婦人がいる。傷つけられると祈りの部屋に入る。その人は※「主の祈り」を祈ることによって、「 何を怒っていたのか忘れた。」と言って出てくる。

 主の祈りの5番目。イエス様が罪の赦しの祈りを入れられたのは、大きな意味がある。皆さん、毎週教会で借金の祈りをしているんですよ。これも赦しますあれも赦します、と言って生きられれば、幸せになれます。赦せないのが一番不幸なのです。

 赦せないのを全部置いて、軽くなって帰りましょう!軽井沢!

 信仰の出世魚を教えましょう。まずは、「赦せタラいいなぁ。」次に「あの人を赦しタイ。」鱈から鯛に。そしてもう一つ上は鱒。

 「今限り赦しマス。」とお祈りすると、私たちの重荷を取り去ってくださる。もしここで出来なくても、帰ったら出世魚を!

 七かける七十倍まで赦しましょう!


 以上が「礼拝の説教」です。主の祈りって??の人のために、主の祈りも書きます。

 主の祈り

 天にまします我らの父よ。
願わくはみ名をあがめさせたまえ。
み国を来たらせたまえ。
みこころの天になるごとく
地にもなさせたまえ。
我らの日用の糧を今日も与えたまえ。
我らに罪をおかす者を我らが赦すごとく
我らの罪をも赦したまえ。
我らを試みにあわせず悪より救い出したまえ。
国と力と栄とは
限りなくなんじのものなればなり。
       アーメン 

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索