失望してはならない ルカの福音書18章1節〜8節より
2005年8月21日 礼拝の説教 いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
その町にひとりのやもめがいたが、彼のところにっやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。
彼は、しばらく取り合わないでいたが、後に心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしう。でないと、ひっきりなしにやってきてうるさくてしかたがない。』と言った。」
主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
まして神は、昼夜神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
今日の題は聖書からとりました。辞書で調べてみると、「望みを失う」「当てがはずれてがっかりする」と書いてある。けれどもイエス様は失望してはならない、と言っている。特に祈りにおいて失望してはならない。
教会においてもしばしばそうではないか。(エホバの証人の研究生の)○原○子さんのことも。みんなで祈りました。私は専門家ではないから、C先生に頼みました。大丈夫かと思いましたが、ダメでした。次にK先生が、専門家が、半年も取り組んでくださった。それでもダメだった。私が出向いて一日取り組んだこともある。麦の会の方が○子さんを説得してくださった。そして今、どうしているか。中澤先生がシンガポールに行っているので、○子さんと○田さんもシンガポールに行っておられる。・・・しかし、なかなか祈っても応えられない時がある。失望しないで祈ることは、神様からの課題ではないだろうか。
一生懸命、しつこくしつこく求めるもんだから、与えてやろうと思った。神様なら、もっともっと私たちに応えてくださる!
私たちの教会は、2X年間たちました。××の土地で始めましたが、当時使っていた所の隣が、買えそうだった。けれども私たちが買おうとしていた土地から1分くらいの所が、1坪792万!
50坪×800万=4億円だった!
4億円もしそうな土地を3000万円で売る人はいない。そしてまた色々探した。そして連合にお願いしたんです。そしたら淡白な態度だったので「連合としては出来ません。」と言われてしまった。そして5000万円でこの地に、礼拝堂を建てることが出来た。
私がそのとき思ったのは、熱意がなければならない、ということ。心の中で祈っていますとね、グルグル回ってしまう。どんなに強く願っても言葉に出さなければ通じない。
この人は(祈っても)ダメだ、あの人は(祈っても)ダメだ、と思っていることはないだろうか。
先週、キングスガーデンに行って、家内の母を見舞った。
まぁ、ことごとくキリスト教に対して反対したのは母だった。1998年のイースターに洗礼を受けたんです。30年後に救われたんです。
7年前の、あの時でなかったら、無理だったでしょう。
神様で自身の時がある。早い場合もあれば、遅い時もある。いつでも祈るとべきである。
失望してはならない。
「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。
その町にひとりのやもめがいたが、彼のところにっやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください。』と言っていた。
彼は、しばらく取り合わないでいたが、後に心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、
どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしう。でないと、ひっきりなしにやってきてうるさくてしかたがない。』と言った。」
主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。
まして神は、昼夜神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。
あなたがたに言いますが、神は、すみやかに彼らのために正しいさばきをしてくださいます。しかし、人の子が来たとき、はたして地上に信仰が見られるでしょうか。」
今日の題は聖書からとりました。辞書で調べてみると、「望みを失う」「当てがはずれてがっかりする」と書いてある。けれどもイエス様は失望してはならない、と言っている。特に祈りにおいて失望してはならない。
教会においてもしばしばそうではないか。(エホバの証人の研究生の)○原○子さんのことも。みんなで祈りました。私は専門家ではないから、C先生に頼みました。大丈夫かと思いましたが、ダメでした。次にK先生が、専門家が、半年も取り組んでくださった。それでもダメだった。私が出向いて一日取り組んだこともある。麦の会の方が○子さんを説得してくださった。そして今、どうしているか。中澤先生がシンガポールに行っているので、○子さんと○田さんもシンガポールに行っておられる。・・・しかし、なかなか祈っても応えられない時がある。失望しないで祈ることは、神様からの課題ではないだろうか。
一生懸命、しつこくしつこく求めるもんだから、与えてやろうと思った。神様なら、もっともっと私たちに応えてくださる!
私たちの教会は、2X年間たちました。××の土地で始めましたが、当時使っていた所の隣が、買えそうだった。けれども私たちが買おうとしていた土地から1分くらいの所が、1坪792万!
50坪×800万=4億円だった!
4億円もしそうな土地を3000万円で売る人はいない。そしてまた色々探した。そして連合にお願いしたんです。そしたら淡白な態度だったので「連合としては出来ません。」と言われてしまった。そして5000万円でこの地に、礼拝堂を建てることが出来た。
私がそのとき思ったのは、熱意がなければならない、ということ。心の中で祈っていますとね、グルグル回ってしまう。どんなに強く願っても言葉に出さなければ通じない。
この人は(祈っても)ダメだ、あの人は(祈っても)ダメだ、と思っていることはないだろうか。
先週、キングスガーデンに行って、家内の母を見舞った。
まぁ、ことごとくキリスト教に対して反対したのは母だった。1998年のイースターに洗礼を受けたんです。30年後に救われたんです。
7年前の、あの時でなかったら、無理だったでしょう。
神様で自身の時がある。早い場合もあれば、遅い時もある。いつでも祈るとべきである。
失望してはならない。
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