礼拝の説教。ルカの福音書22章35〜38節より「足りないものはありません。」
2006年4月30日35 それから、弟子たちに言われた。「わたしがあなたがたを、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出したとき、何か足りない物がありましたか。彼らは言った。「いいえ。何もありませんでした。」
36 そこで言われた。「しかし、今は、財布のあるものは財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。
37 あなたがたに言いますが、『彼は罪人たちの中に数えられた。』と書いてあるこのことが、わたしに必ず実現するのです。わたしにかかわることは実現します。」
38 彼らは言った。「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります。」イエスは彼らに、それで十分。」と言われた。
ルカの福音書22章35〜38節
イエス様は弟子たちに訪ねられた。(35節参照)
人生は旅にたとえられることがあるけど、この問いは私たちにも投げかけられている。私(牧師)は、このイエス様のことばをまず何よりも自分自身に対して投げかけられている、と思っています。
「いいえ主よ。何もありません!」私は涙ながらに答えた。欲しい物は多かった。でも、人生を歩む中で足りないものは一つもありませんでした。
まず、旅にはお金がかかる。宿賃や乗り物など。それから荷物。今の時代ならスーツケース、靴。・・・裸足で歩く訳には行かない。あなたの人生において、必需品が欠けたことがありましたか?
贅沢を言えば欲望はどんどんどんどん広がっていく。
イエス様は欲しい物ではなくて必要な物を与えてくださった。もし欲しい物が与えられてたなら、堕落していたと思います。欲しい物ではなくて、必要な物をくださったことを感謝します。
ある知り合いの牧師がアルバイトをした。お給料は牧師給の3倍!こんな好条件のバイトを続けたら、牧師を辞めたくなると思い、バイトを辞めた。私はそれを聞いて益々尊敬した!
イエス様に従う人生は、贅沢は出来ないかもしれない。あなたの人生において、何か足りないものはありましたか?
36節で、イエス様は不思議なことを語っておられるんですねぇ。今なお、解ったとはいえない。イエス様が語ってきたことの逆を言っているように思うんです。剣を用意しなさい、と言ってたけど、38節では弟子たちが勝手に2本備えていた。イエス様はそれを聞いて「じゃぁ、仕方がない。そうしなさい。」という事だったのだと思う。
イエス様がいない、これからは、自分達で何とかしなければ・・・という事だったのでしょう。
マタイの福音書26章51、52節。
すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。
そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。」
ただ耳を切り落とすことしか出来なかった。議員の議長は大祭司。軍人とは違って力がなかった。「あなたがたは剣を準備しても何の役にも立たない。
イエス様は、十字架にかかって、私たちをとりなして下さる。
4月22日に娘が結婚式を挙げた。「先生があんなに緊張している姿、初めて見た!」といわれた。
「お父さんは、花婿さんに対して、花嫁さんの背中を押してください。」といわれた。新郎の○×さんは、最高のプレゼントを受け取ったと思った。
神様も私たちに最高のプレゼントをくれた!私たちも主に答えようではありませんか!
主よ、足りないものは何もありません!
コメント