私が場面緘黙になったのは、5年生くらいの頃かなぁ。6年生で完全な場面緘黙になった。

 今でも、主人と喧嘩すると5分や10分、黙りこくってしまう。

 それから、今は平気だけど姑が嫌いで嫌いで仕方なかった時は、挨拶くらいしかしないで、あとは何を言われても合槌すら打たなかった時期があったきがする。

 場面緘黙の人っていうのは、文字通り「場面・場所」などを選んで緘黙しているから、本当に心を開いてる相手には、ちゃんと言いたいことを言ってるんだけど、クラスで汚い者扱いとされたりするとこの人たちに何を言ってもムダだとか思って緘黙するのだ。

 6年生の時こんな事もあった。

 学校の旗を作ろうとか、そんな風な企画で、私は得意のレタリングで「○×小 日本一」とかいうマークを図案したんだけど、みんなが素晴らしいと認める中、

 クラスメート:すごい!あれ誰が描いたの?

はちみつ:私・・・。

 と名乗った途端、ダメダメ、全然ダメだよ〜

ってみんなで言い出して、それに逆らえる人は誰もいなくて、結局却下されたのである。

 結局、どんなのが採用されたのか、私は一切覚えていない。

 

 私に残ったのは、心の傷だけ。

 思い出したら涙が出てきた。

 考えてもみれば、何とも不思議な矛盾したクラスだった。

 私がリンチされて全身傷だらけの時は、
誰がこんな事やったの?赦せない!っていってくれた人もいたのに、私が心に傷を負おうとしているその時に、先生すらはちみつさんのは素晴らしいから、これにしようよ!とはいってくれなかったのだ。

 先生は嫌いじゃなかったけど、なれるもんなら不登校になりたかった。

 こんな事もあった。

 金曜日は班じゃなくて仲間と一緒に給食を食べていい、ってことになってたけど、一人でも仲間はずれがいると金曜日のそのルールが取り消しにされちゃうので、私は毎週どこかの「仲良しグループ」に無理言って入れさせてもらってた。

 もちろん、私が入るとそのグループは沈黙してしまう。仲間に入れてもらっても私が黙っているからだ。

 でも、私を緘黙症にしたのは、クラスメート一人一人だと思っている。私にだって明るい面はあるし、日曜日に教会へ行けば誰よりもお喋り(一週間分の話したいことを教会で話したり!!)なのだ。

 私が汚い者扱いされても庇ってくれなかったのは、クラスメート。男子の言うデタラメを真に受けたのもクラスメート。

 嫌なことが何度も重なれば、場面緘黙にもなる訳だ。

 今の私は殆ど場面緘黙じゃないけど、過去を思い出して書いたので、参考になればと思う。

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