ISBN:4900677019 単行本(ソフトカバー) 後藤 敏夫 あめんどう 1993/04/01 ¥998


 教会の青年会の、課題図書の感想文です。

     『イエスの御名で』を読み終えて

    
             記

誘惑―自分の能力を示すこと より。
「主の務めに携わる者が経験するおもな悩みの一つは、自己評価の低さに苦しむということです。今日、多くの司祭や牧師が、人々にほとんど感化を与えることのできない自分に気づき、悩んでいます。彼らは非常に忙しく働いていますが、きわだった変化を人々の中に見いだすことができません。」
 
私は「もしも○×先生も同じように悩んでいるとすれば、私もいけないんだ」と思いました。昔と比べれば、礼拝中寝てしまうことは極めて少なくなりました。毎週毎週ノートもとっています。ノートをとりながらいつも首を縦にふっています。でも「きわだった変化」を求められているんですね。
 まだまだ成長し足りない自分を反省しました。

?人気を求めることから、仕えることへ
務めー「わたしの羊をかいなさい」より。
「私たちは共同体において、いっしょに福音を宣べ伝えるようにと召されています。」

 私は撮影現場のスタッフや芸能人たちに証をしたり、福音が宣べ伝えられたらと思っていたのですが、でも自分一人で証や宣教をするようにとは召されてないのに気付きました。

 「一人で、真にイエスに忠実であろうとすることがいかに困難であるかを、私はこれまで繰り返し気づかされてきました。」

 私は4月いっぱいで有名な俳優になることを諦めたのですが、もしもあのまま頑張っていたら、有名になるために手段を選ばず、忠実さに欠いていたかも知れません。本末転倒になるところでした。

チャレンジ―「ほかの人があなたを連れていく」より。
「ここで、これからの時代のクリスチャン・リーダーシップに必要とされる、最も重要な資質に触れましょう。(中略)無力さとへりくだりのリーダーシップです。」

 私はこの文章を読んで、「家事などを自分一人で抱え込まなくていいんだ。」と思いました。それまで「部屋の片付け」と言うと「私の仕事」で、私一人でしなくちゃいけないイメージが強かったのですが、決してそうではない、自分一人じゃ家をきれいにするのは大変だから、もっと手伝ってもらえば良いのだ、ということに気づきました。

 これを読む前から、アルバイト先で人生の先輩に仕事のノウハウなどを教える時に、「もっとへりくだった方が良い」ということを社員からアドヴァイスを受けていました。

 自分は親として、また洗い場での先輩として威張っていましたが、へりくだらなければ誰も快くついてこないのがわかりました。

「むすび」のより。
「あまりに私は、能力を示すこと、有名になること、強い権力を手に入れることを、効果的な働きのために必要だと見なしていました。しかし本当のところ、これらの欲求は神の召しではなく、誘惑です。」
 
 ここではっきりとこう書かれていることによって、「やっぱりそうだったのか!」と気付くことが出来ました。
 

 私はクリスチャンの俳優になることを夢見て来たのですが、「果たして自分のしていることは本当にみこころにかなっているのだろうか。」といつも疑問に思い、手探りの状態でした。でもここではっきり宣言されることによって、「有名な俳優になること」はみこころにかなっていない、と知ることができました。

 
 読み始めるまでにとても時間がかかりましたが、読むことができて良かったです。この本を薦めてくださり、ありがとうございました。
  

                         以上

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