「春」の33ページ冒頭より。

私がこの小冊子を著したのは、人間の生涯は絶え間ない発展の途上にあること、そして人生には誰もが必ず経なければならないさまざまな時期があって、そのそれぞれの時期ごとに神の計画が定められているのだ、ということを分かって頂きたいと思ったからです。分かって頂けないまでも、漠然とながらでも感じて頂ければと思ったからです。


 私は毎週毎週の礼拝のメッセージで、自分の人生に神の計画があることは理解していました。

 
 私はちみつがこの日記に冒頭のことばを書いたのは、「絶え間ない発展の途上」の言葉で表現されているように、どの人も発展するということを日記の読者に知って頂きたかったからです。

 私は、自分ほど発展の遅い人間も珍しいと思うし、自分の母親もお金にだらしないので周りのみんなが長年迷惑してますが、それでもいつか母も神様を信じて(罪から)救われることを信じて、クリスチャンの親戚は母のために祈ってます。

 
 クリスチャンというのは、まさにこの本のテーマの「発展と成熟」を自分自身や周りに求めているのだと思いました。


 次に幼年時代について。36ページ中ほどより。

かなり多くの親たちが、その子供それぞれの創意を認め、それをいらだたしいややこしさとしてではなく豊かさなのだと理解しようと努めていることは確かなのですが、それでも大抵の親たちはその子がどういう人間になるべきかについて、自分たちなりの身勝手な未来像を描いているものです。子供をかわいがるあまりに親たちは、自分が果たすことのできなかった野心を子供に託し、子供がその野心を実現することによって、親である自分たちの失敗の埋め合わせをしてくれることを期待しています。


 確かに世の中にはそういう親御さんは多いと思います。でもこれに限っては自分には当てはまらないと思いました。

 私が俳優を目指していた頃、主人の母にこんなこと言われました。
「普通の親は自分の果たせなかった夢を子供に子供に託すんじゃないの?」と。


 私はそれが普通だとは思っても、自分はそうはなりたくない、と思ったんです。うちの子は、たまに人から「かっこいいね!ジャニーズ系だね!」と外見をほめられますが、うちの子には自己顕示欲はないし、人前で歌って踊ることも興味ないし、演じることへの執着もないからです。

 うちの子はたとえバンドでドラムやキーボードをやることがあっても、「ドラマに出たい」とは言い出さないと思います。とにかく俳優になるつもりが毛頭ないんです。

 なんだか感想文というより、親バカな話に逸れてしまいました。

 次に36ページから37ページより。

今日多くの親たちにまだ欠けていることは、自分の子供を本当の人格として扱うということです。子供は個性をもった存在であること、子供は自分たち両親の所有物ではなくて神のものであること、そして、どの子供もそれぞれ異なった独自の人生の計画を内に秘めており、その計画はあらかじめ確定しているのではなく、一歩一歩人生の歩みを進めていくうちに発見されていくのだということを認める態度が欠けているのです。


 「子供は自分たち両親の所有物ではなく・・・」この辺はよくテレビドラマなどで描かれていますよね。

「私はお母さんの操り人形じゃない!」とか言うセリフ、よく耳にします。

 でもこの続きに書かれている「神のものであること」とは、クリスチャンでない限り誰も思わないでしょう。神様を信じない人(知らない人)は進化論が普通だからです。

 でもクリスチャンも「神のものであること」を頭では理解していても、きつい態度で接してしまいます。家族だから仕方がないのかも知れませんが、その辺はもっとちゃんと理解して、優しく接してやれたらと・・・といつも反省しています。




 今日はこれくらいにしておきます。

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