これから書くことは、あくまでも私の考えですが・・・。



 緘黙・・・場面緘黙・選択緘黙とも言います。家では普通に喋れるのに、学校に行く
と誰とも喋れない、あるいは特定の人としか喋れない人。心を開く相手や場面を完全に選んでいる。


 私の場合、先生とは話せてもクラスメートとろくに話せない時期がありました。教室では、授業で発言はしても、クラスメートとのお喋りができなくなり、週1回のクラブの時間だけ、やたらお喋りになりました。


 もともとお喋りだった私が緘黙になったのは、イジメが原因です。自分をいじめる人間がいる前では喋れなくなった、という感じです。心を閉ざして貝になってしまったので、喋れる相手としか言葉のキャッチボールができないんです。

 
 挨拶も苦手でした。挨拶って、「慣れ」が必要ですよね?でも挨拶する習慣がついたのは、5年生からでした。登校班では挨拶できても、学校に着くと先生にしか挨拶できない子でした。中学でも、部活の先輩には普通に挨拶できていたし、後輩にも挨拶を返せていたのに、3年生になったら「自分からクラスメートに挨拶する」ができなくなりました(^^;


 2年生のころは、平和で良いクラスだったんですけどね~。



    
 「本当はしゃべりたい。」って思いがあるのに、自分をいじめる人間の前では怖くて喋ったり出来ないでいました。また、「この人に何を言ってもムダ。」と思ったら最後、挨拶しかできなくなりました。(体験談ですが)



 相手や場所を選んで話さなくなるのが緘黙だと思います。



 「完全緘黙」の人もいるようですが、そういう人は、指示にさえ従っていれば文句言われないような仕事が向いてると思います。人と接しない(接客ではない)仕事とかです。



 




 
 無口・・・授業でさされれば発言できるし、こちらから話しかければ答えてくれるけど、自分からは特に誰にも話しかけない人だと思います。自分から相手に何の興味も示してくれないので、あまり言葉のキャッチボールになりません。自分からは決して挨拶してくれない人もいます。



 ~まとめ~



 無口な人は、緘黙してるわけではないので、「話しかければ答えてくれる。」けど、歌うことが好きかどうかは、人それぞれだと思います。



 緘黙する人は、心を開いた相手や場所じゃないと「話しかけても答えてくれないけど、歌うことが好きであれば、歌える。」ってこともあります。




 昔、失恋でうつ病の真っ只中だった時、私の実家の近所の教会(母教会ではない所)に行ったら、賛美は歌えたのに、質問には一切答えられなかった、ということがありました(;;)



 もう一度あの教会に行くことがあったら、「こういう訳で話せなかったんです。」と事情を口頭で説明してあげたいです!!





 ところで、荷物の仕分けのバイトはどちらにも合ってると思います^^





 


 


    



 

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